東京地方裁判所 昭和45年(ワ)8266号 判決
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〔判決理由〕二(精神分裂病と本件事故との因果関係)
<証拠>ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告の兄弟の中には、大学を卒業した者、大学在学中の者もいるが、原告は昭和二〇年生れで中学校までは何とか終え、自動車の運転免許も得たものの、もともと精神薄弱で、中学校卒業後、すぐ家事の材木店の手伝いをはじめ、客との応待を十分行ない得ないため、主に自動車の運転に従事していた。
(二) 原告は、生来無口で、おとなしく、極端に引込思案の性格であつた。
(三) 原告は、昭和四一年七月頃から運転等乱暴になり、検察官による取り調べが数回繰返されたため、だんだん不安となり、さらに検察官から「示談ができなければ刑務所に入れる」といわれたことに気が動転し、精神の変調を来たし今晩のうちに遠くに行つてしまいたいといつて、なかなかきかず、やつとのことで説得されあきらめたり、家のまわりを何回も徘徊したり、夜中子供の頃の喧嘩を憶い出してこれからあやまりに行くというような突飛なことを云い出したり、家の押入れに隠れたりするようになつた。
(四) 原告の精神状況の変化に気付いた原告の両親は、原告を連れ慈恵医大の診断を受け、原告が途中で逃げ帰つたりしたため、診断が遅れたが、昭和四一年一月一日には入院させるよう指示され小金井病院を紹介され、同年六月一三日同病院医師の応診で接技性破爪型精神分裂病と診断され、小金井病院に入院するにいたつた。
(五) 原告は、入院時昏迷状態にあり、一点を凝視して座つているだけで、話しかけても答えず、食事もとらない状況が続いたので、一〇日後の同月二四日一たん退院し、以後自宅で療養していたが、症状改善せず、昭和四三年一月一八日同病院に再入院し、昭和四四年一月二〇日に至つて寛解状態となり、退院した。
以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
ところで、<証拠>によれば、精神分裂病の成因については未だ医学上解明されておらず、病因が何であるかは判明していないこと、一般には、本人の素因が病気の大きな要素となつているものと考えられているが、発病の原因としては環境の影響も否定できず、失恋や突発的災厄による精神的ショックを切掛に発病する者も多いといわれていること、しかし逆に、そういう目立つた切掛なくして発病する者の方がむしろ数の上では多いと考えられていること、この病気は二〇才前後の思春期から青年期はじめの者の発病が一番多く特に破爪型ではそうであると一般にいわれていること、この病気の患者は、もともと性格的に、おとなしく引込思案の内向的な者、または神経過敏な者が多いことが認められる。
これと前記認定事実によると、原告は本件事故を契機とする精神的衝撃、特に検察庁の取調べによる衝撃により、精神的分裂病に罹患した蓋然性は極めて高いと判断される。しかし、精神分裂病には、本人側の素因が大きな要素を占めていて、そのような精神的衝撃なくして発病する例の方が多いこと、原告は性格的に精神病患者の典型的タイプであり、また発病の一番多い年代にあつたこと、特に発病の一番の切掛が検察庁における取調べであつた可能性が強いこと等に鑑みると、原告の精神分裂病罹患は、本件交通事故と因果関係があるものか否か、即ち、事故がなければ発病しなかつたといえるかどうかについては、にわかには認め難い。仮に、一応、因果関係そのものは認めるとしても、右の如き事情ならびに一般的に交通事故と精神分裂病の発病との蓋然性は余り高くないことから、相当因果関係にあるものとはとうてい認め難く、また被告が原告の精神分裂病罹患を予見し得たと認めることのできる証拠もないから、いずれにしろ、原告の精神分裂病については被告の責任を問い得ないといわねばならない。(田中康久)